プロフィール

このページでは、わたしの略歴、さらに続けて詳しいプロフィールを紹介しています。


あなたのお悩みがカウンセリングによって解決するかは、クライアントであるあなたにとって、カウンセラーであるわたしと相性が合うと感じられるかどうかが非常に重要な要素になってきます。

あなたがこれまでに感じてきた、あるいは、今抱えている困難や辛さを、

「目の前にいるカウンセラーになら話せそう」

うまく話せないかも知れないけれど気持ちを受け止めてもらえそう」

そういった安心感を持てることが重要で、なによりも大切なことと、わたしは考えています。

ですから、「これから相談を…」と行動を考えておられるあなたにとって、安心感と勇気を抱く一助に少しでもなればと、いつも願っています。

そこで、ここでは、わたし自身、どのような困難や辛さを感じて悩んできたか、それらをどのような経緯で克服して心理カウンセラーになるに至ったかをプロフィールとしてまとめました。

ぜひ、ゆっくりご覧くださいね。

カウンセラーの略歴

カウンセラーのプロフィール写真自分の居場所づくりを支えるカウンセラー
加戸 成樹(かと なるき)

心の中でモヤモヤする思いを
対話をしながら解きほぐし
すっきり・しっくりに変えて
あなたの居場所づくりを支える
【心の問題切り分けの専門家】

1972年 金沢市生まれ。
物心ついたときから周囲の人を怖がり、人が多い環境への馴染めなさを我慢しながら学校生活を送る。

20歳で就職するも、人間関係や労働環境への適応に悩む

30代半ばで心身に異変を来たし、適応障害の診断により休職。数々のうつ症状に苦しみ、数年に渡って復職・休職を繰り返す。

40代を過ぎて職場へ完全復帰。療養生活で感じた、自分の心の問題を切り分ける手掛かりを活かして心身の力を回復させ、心の病を克服

配置転換命令を期に、20年以上に及ぶ会社員生活に見切りを付け、転身を決意。

カウンセリングや心理療法を学びながら相談者活動の経験を積み重ねて、心理カウンセラーに転身。相談者の心の問題を切り分けて、居場所づくりを支えるカウンセリングを提供している

わたしはかつて、大企業の技術開発部門で働く会社員でした。大規模なIT系システムの開発現場で、問題切り分け作業に多く従事してきました。

一方で、環境への適応に長年悩まされました。将来に漠然と不安を感じつつもこの居場所に馴染まねばと働き続けました。

心の病を患い、何年も療養生活を送った時期もありました。心身が落ちるところまで落ちたものの、自分の心の問題を切り分ける努力を重ねて、職場復帰を果たしました。

「今度こそ!」と出直した矢先、配置転換命令が…

ここに至ってようやく「このままでは自分はダメだ。なんとかしなければ先はない!」と一念発起。退職して新しい生き方を目指す決心をしました。

様々な活動を続けるうち、少しずつ、自分の本当の思いや適性が見えてきて、自信が芽生えてきました。心の病までも克服することに成功しました。

その過程でカウンセリングや心理療法の重要性を感じ、イチから勉強しました。学びと経験を積み重ねて心理カウンセラーに転身し、心理相談室『なんのきの木かげ』を開設しました。

人間関係に悩みを抱える方、自分の適性に疑問を感じ、将来に不安を感じる方、自分の気持ちや考えを整理できずに悩む方の相談を受け、心の問題を切り分けて、居場所づくりを支えるサポートをしています。


詳しいプロフィール

臆病で、取り残されがちだった子ども時代

物心ついたときから気が弱くて臆病でした。

身体を動かして遊ぶのが好きだけど、声が大きくて力強い子たちが怖くて、一緒に遊んでみてもびくびくして尻込みするばかり。

取り残されるようにひとりポツンと周りを引いて眺めがちになるわたしは、大人たちから見ると、なぜか《落ち着いたしっかり者》。

いつしか、自然とその立ち位置で振る舞うようになりました。でも、本当の居場所にいられないような、どこかしっくり来ない感じも、ずっとしていました。

「みんなと一緒に遊べたらいいのに…」

本当はそう思っていました。楽しそうにしているみんながうらやましくてしかたがありませんでした。

でも、そうできない自分が悪いと言われて終わるだけな気がして、誰にも言えませんでした。

周りへの馴染めなさを我慢し続けた少年時代

小学生になっても、学校にいるやんちゃな子や力強い子に怖さを感じてしまい、放課後に通った学童保育での集団行動にも馴染めず、逃げるように複数の塾を掛け持ちして通っていました。

学校の勉強はよくできるようになっても、それで気持ちが強くなったわけではありませんでした

中学校では、気が強い同級生や力のある先輩からいじめられてしまい、陰から聞こえる悪口や脅し、心ない嘲笑の声に怯える毎日。

部活動での過剰な上下関係、下級生しごきの横行…そういった環境にも理不尽さを感じたものの、何も言えませんでした

「こんな状況で自分を守るには《おとなしい優等生》であるしかない…」

周囲から避難するようにその居場所へ収まって、我慢して耐え忍ぶばかりでした。

頭皮が荒れてボロボロになった時期も1年ほどありました。
そのときは原因が分かりませんでしたが、今思えば過大なストレスによるものだったのでしょう。

避難した立ち位置は、本当の居場所ではなかったのです。

高校受験~大学受験~就職試験…という、先に待ち受ける社会での競争にも嫌気が差していました。

その流れからできるだけ逃れるために、5年制の工業高専へ進んで地元で就職する道を見出しました。

普通高校と違って受験戦争もなく、自由が多い環境でしばらく穏やかに居られる居場所に違いない。そう見えたのです。

「自分が安心できそうで、親も周りも納得させられるような居場所は、そこしかない…」

ひとりでそうも考えました。

しかし、そもそも消極的に選んだ進路。授業に前向きに取り組めず、落ちこぼれてしまいました。

部活動も嫌で、アルバイトに明け暮れ、あるいは部屋でひとり趣味に没頭…

自分の居場所にいるようで、中途半端に逃避するような、煮え切らない学生生活の日々を送り続けました。

就職しても、環境への適応と将来に不安を…

それでもなんとか無事に学校を卒業し、20歳で、地元にあった大手企業のグループ会社へIT系技術者として就職しました。

ようやく安心できる自分の居場所を…という安堵と意気込みの気持ちも束の間、希望とは異なる勤務地へ赴任して働くことになりました。

環境の激変で臆病さに拍車がかかり、仕事にも人間関係にも消極的になってしまいました。

地元に戻っても、自分の居場所に安心ができませんでした

毎日長時間残業が当たり前だった当時の職場では、さらに、直属上司の、いつ嫌味と激高を発するかわからない理不尽な態度や言動が日常茶飯事。

殺伐とした空気になりがちだった職場で毎日朝から晩まで働き続けて、恐怖感と不信感が膨らむばかり。

上司に物申すほどの度胸なり理論武装なり、自分の意見や気持ちを打ち明けたりできるほどの勇気を備えるでもなく…

かと言って、技術開発のスキルを高めて際立った結果を出して見返してやる!といった気概ある志を持つでもなく…

「辛い。しんどい。逃げたい」

「でも逃げられない…」

いかにして上司とのコミュニケーションを回避するかばかり考えるようになってしまっていました。

そのうち、自分の将来に対して、漠然とした不安・劣等感・無力感ばかり感じるようになっていました。

いつも縮み上がった気分で仕事をする自分の臆病さもまた、ほとほと嫌になり、心身が不安定になることが増えて会社を休みがちにもなっていきました。

それでも、生活の安定と収入のためにはと、仕事のやり甲斐と関心を無理やり自分に強いながら、逃げ腰で勤務する日々を、長々と送り続けました。

「それでも自分はここでがんばるしかないやろ…」

当時は、自分ができるのは今の仕事だけ、今の職場が唯一の社会的な居場所なのだと思いこんでいました。別の仕事や新たな職場を選ぶという勇気はおろか、発想すら起こりませんでした。

自分の可能性をまるで想像できなかったのです。

心身に異変、余儀なく長期休職へ

30代半ば、ある朝目覚めた直後。

突然、心身に異変が…

激しい動悸に息も絶え絶え。目の前は真っ白。しびれる手足。

身体をコントロールできない状態が何時間も続き、仕事に向かうどころではなくなってしまいました。

内科診察を渡り歩いた挙げ句、精神科で即刻ドクターストップ

社会不安を伴う適応障害と診断され、長期休職を余儀なくされてしまいました。

療養生活中は、数々のうつ症状が長く続きました。

《わたしが体験したうつ症状》

本を読んでも内容が頭に入らない。気がついたらただ字面を追うだけ。

睡眠のリズムが完全に狂う。昼夜逆転し、不眠と過眠を繰り返す

時計のアラーム音や電話の着信音に恐怖を感じ、パニック発作を起こす。

大好きなはずの音楽が聴こえても恐怖を感じる。
幼少の頃からずっと大好きであり続けていた《音楽を聴くこと》すらできなくなって、自分は本当におかしくなったと思い知り、絶望感を覚える。

クルマの運転が怖くてできない状態になる。

子どもと遊んでもすぐに疲れてしまい、充分に遊んでやれなかったと悔いを募らせる

治療薬の相性がなかなか合わず、わけもなく強烈にイラ立ったり、キレてモノにあたり散らしたりする。

職場からの定期的な連絡依頼に対して強烈な困惑と恐怖を感じる。

症状に伴う諸々の感覚を端的に伝えることがままならない

数々の症状も少し和らいで職場復帰を果たしたものの、周囲の仕事ぶりに自分の心身がついていかず、仕事や対人関係に困難を極めました。

「人が話した内容が頭に入らない…」
「メモもまともにとれない…」
「ミーティングの議事録が書けない…」

かつてそれなりに業務ができていた自分の能力はおろか、

「ちょっと聴いたばかりの話の記憶力すらも、もう二度と戻らないのではないか…」

そんな喪失感に襲われ、絶望しました。

職場で事あるごとに直面する無力感や疎外感にも堪えられず、休んだり遅刻したりを繰り返してしまい、ますます居たたまれなくなり…

再び長期休職へ。

結局、職場へ行くことすらままならない状態が何年も続いて、社会とのつながりが実質的になくなり、居場所を失った状態になりました。

いわゆる、大人のひきこもりです。

悪循環に陥るばかりでした。

収入が完全に途絶える窮地に陥っても、社会復帰できるほどに自分の力が戻るとは、到底思えませんでした。

長い休職療養期間を経て、ようやく回復へ

不安定に浮き沈みする心身の波に延々と悩まされ続け、いつ終わるとも知れない療養生活の中でも、決してあきらめなかったことがひとつだけありました。

それは、時にかすかに感じられる、回復の兆しを見逃しはしないという気持ちでした。

家事、散歩、運動、ちょっと遠目の外出…

できそうなら少し動いてやってみました。

たくさんあせりました。

たくさん失敗しました。

すぐに疲れて動けなくなりました。

もしかしたらそれで回復を遅らせたかも知れません。

でも、だからこそ、肌身に沁みてわかったことがあるのです。

心の問題を切り分ける大切さに気づいた。

今の自分にできることとできないことを切り分けて整理できたときには、何をどこまでするかをはっきりと自覚して、何ができたかを肯定的に認めることができました。

次第に、今の自分がどこまで力を出せるかを、ほんの少しだけ負荷を高めに掛けて測る感覚が身についてきて、微調整しながら力を伸ばしていくことができるようになってきたのです。

このように、自分の心の問題を切り分けて整理する感覚を働かせることができたときには、心身の改善が早まっていくことを感じました。

社会復帰への道筋も、次第に見えてきました。

わたしが無理なく職場へ復帰するための計画を、新しい直属の上司と相談できたのです。

社会生活で初めて自分の状況や考えを受け容れてもらえた」と心から安心できた体験でした。

辛いばかりだった職場へまた戻る不安、人に会うことに対する怯えはありましたが…

まずは、上司のサポートに素直に感謝して、もう一度自分の居場所を作ってみよう、そう希望を持って職場へ復帰しました。

職場では心を入れ替えました。仕事の出来は二の次として、上司や関係者と素直にコミュニケーションをとることを心がけました。

心身の調子や仕事の状況を素直に伝えることができれば、自分も相手も安心できるよい循環を感じられ、力を徐々に回復させていくことができたのです。

再出発の矢先に直面した岐路…退職を決意

転んだり起きたりを幾度となく繰り返し、努力を続けた結果、仕事に完全復帰していける確信に至りました。

「やっと今度こそこれから!」

そう思った矢先…

遠方の事業本部へ転属する話がきました。片道切符の配置転換命令です。

「自分は何を目指して、どう生きていきたいのか?」

ここに来てはじめて、『自分の居場所』真剣に問い直しました

家族の将来、周囲の期待、職場の状況、自分の能力と経験値…

それぞれに新たな可能性もあれば、大小さまざまなリスクもあり得る…

いろんな要素が交錯しましたが、落ち着いて、心の問題や目の前にある課題を一つひとつ切り分けて整理するよう、自分に言い聞かせました。

必死に想像して、考えを巡らせて、散々迷った末、浮かんだ気持ちは、こうでした。

「ぼくはやっぱり、遠方へ移ってまで
今の職種や業界に携わり続けたいとは思わない」

「違ったことをやる方が幸せなのかも…

自分の気持ちを大切に守るために、配置転換を断って退職する決意を固めました。

長く携わった仕事の経験、培ってきた技術者としてのスキルやキャリア、収入や福利厚生の安定性、すべてに見切りをつけることにしたのです。

「決意したはいいけど、次は何をしていくのか?」

何の準備も、見通しも、拠りどころもありませんでした。

今までとは違った能力を発揮する裏付けも、頼れる人脈も、何ひとつありませんでした。

かと言って、それらを整える時間もありません。

黙っていたら、否応なく配置転換が遂行されてしまう状況。

その前に、まずは、決意と意思表示だけでもしておくよりしかたがなかったのです。

「新たにこれからの人生をと《住処としての居場所》を決めても、《職業人生上の居場所》の当ては何もない…

自分の気持ちに素直になって固く決意したこととは言え、途方に暮れました。

途方に暮れたけど、まずは自分を大切に

「一体これから、自分には何ができるのだろう?」

ぼんやり思い悩むことがしばらく続いたある日、はじめて、ある心理カウンセラーさんと対話する機会がありました。

わたしはただ、自分が話したいことを話したいように話しました

そのカウンセラーさんは、淡々と、しかし丁寧に自分の話を聴いてくれました。有益そうなアドバイスをくれたわけではなく、なぐさめや励ましの言葉を掛けてくれたわけでもありませんでした。

なのに、話しているうちに、ひとりでに、地に足つかない焦燥感や不安が落ち着いていくような…

心底、ホッとしました。

自分には何ができるのかの答えをすぐもらえたり、ヒントがすぐに見つかったりしたわけではありません。

にも関わらず、自分の話をまるごと受け止めてもらえた話してみてほんとうによかったと、安心感に満ちた気分になったのです。

不思議と、前向きな勇気が芽生えた感じまでしました。

ただ話を聴いてもらっただけでこんな感覚になったのは、はじめてのことでした。

真剣に考えて散々迷った末に、自分の気持ちに正直な決断をした

「いま一番大切にすべきは、自分を大切にすること」

「ひとまずなにか行動してみようか」

「何をしたところでどうなるかはわからない」

「わかっているのは、何かやってみないとどうにもならないことだけ」

「ダメだと感じたら、そのときまた考えたらいい」

何の無理もなく、自然にそう思えました。

自分の居場所が、自分の心の中にできたようでした。

行動範囲を拡げていき、臆病さを克服

それからと言うもの、会社の外へ目を向けて、勉強や交流の場に気の向くまま、片っ端から参加しました。

勉強や交流をするときは、こういったことに気をつけていました。

  • 謙虚に(自分がいちばん素人、無知、下手くそ)
  • 素直に学ぶ、やってみる
  • 今いる場をただただ自然体で楽しむ

好きな音楽のコンサートなどにもたくさん足を運んで、楽しみました。

それらのほぼすべてについて、感じたこと学んだことを思いのままに書き綴って、ネット上や新聞投書で発信しました。

発信したものは、思いのほか多くの方々に喜んでもらえました。

「ともかくやってみたことが、こんなに人のためになるなんて…」

信じられないほど。

でも、なんだか嬉しくてしかたありませんでした。

幸いにも、たいていの場所で、所属も立場も世代も超えて、自然体の自分を受け入れてもらえました。

そんな体験を続けるうちに、会社と自宅を往復するだけだった社会人人生に、かつてなく多くの楽しみと新たな可能性が加わってきました。

生来の臆病さや逃げ腰の姿勢はどこかへ行ってしまったかのようでした。

この間に、会社を円満に退職する運びとなりました。さらに、経過観察を含めて11年余りに及ぶ長い精神科通院も終了しました。

心の病も、完全に克服しました。

新しい活動に次々と挑戦、自分の力に気づく

いろいろな場へ出て交流を拡げるうち、少しずつ仕事を依頼されるようにもなってきました。

知人のお店や仕事の手伝い、
チラシやホームページの作成、
記事執筆などの委託業務、
高齢者福祉施設の慰問ボランティア…

今の自分にできそう、やってみたいと感じたことは何でもやりました。

これまで全く無縁だった分野に挑戦し、臆することなく取り組みました。

今までの職務経験が活かせるか、目先のお金にどれほどなるか。そんなことはまるで関係ありませんでした。

いつしか、人の悩みや相談話を聴くことが多くなり、相手の気持ちを受け止める重要性を強く感じるようになりました。

そこで、カウンセリングや心理療法を本格的に学ぶようにもなりました。この取り組みでは特に、喜びとやり甲斐をひときわ強く感じることができる自分にも気づきました。

「こんな自分でも、自然と、興味深く打ち込めることがあった!」
「周りの仲間がこれほど自分を応援してくれている!」

こんな気持ちを強く感じたことはありませんでした。

学びと実践を続けるうち、かつて、システムの問題切り分けを積み重ねた経験を心の問題切り分けにも活かして応用することで、問題解決が急速に進むことを実感しました。

さらに、少年時代のことも思い出しました.

同級生やアルバイト仲間から悩み話を打ち明けられることが度々あり、自然とひたすら聴き役に徹していた…

そんな昔から、人の苦しい気持ちや、簡単には誰にも言えないような話をよく聴いてきたじゃないかと。

これから進む道はここだと確信するに至りました。

「ともかく目の前のことを楽しもう」
「楽しかったら、なんとかなる」

と思って、行動してみました。

試行錯誤を繰り返しながらも、心の問題や目の前の課題を切り分けて整理することで、本来の自分の持ち味や能力が発揮されて開花していくことを肌身で感じました。

社会的な居場所もまた、自分の力で見つけられる!つくれる!

心理カウンセラーに転身

こうして、カウンセラーとしての活動をスタートさせました。あるときは対面で、あるときはオンラインで、1対1のカウンセリングの経験を積み重ねて、現在に至るというわけです。

生来の臆病さ、逃げ腰な姿勢、社会的な居場所の不全感、心の病…

こういったことからわたしが立ち直れたのは、非常に運が良かったと思います。

とてもいいタイミングでいい出会いもあった、それも大きかったと思います。

今こうして、本来の自分の持ち味や能力にあらためて気づき、活かせるようになるまで、20年以上もかかりました。心の病の克服にも10年ほどかかりました。

でも、カウンセリングを受けていただく方は、そこまで遠回りする必要はありません

自分の心の問題を切り分けて整理することによって、思ったよりも早く悩みや苦しみから抜け出して、自分らしく、活き活きと、のびのびと、幸せを感じながら日々生きていけるようになれます。

《ところで…なぜ、心の問題の切り分け?》

わたしはもともと、工業系の学校を経て、SE(システムエンジニア)として長く働いてきました。

技術開発の現場では、多くの人の手によって作り上げる大規模なシステムの問題を発見し、原因を切り分けて特定する作業を数多く経験しました。

もちろん、人の心の問題を解決するためのプロセスは、システムのそれとは違います。

でも、問題を切り分けることの重要性は、人の心もシステムも同じです。心であっても、何が問題だったかを整理することはできますし、そうしてこそ、解決への見通しもつきやすくなります。

システムでは『何が問題か』に着目することがほとんどです。問題をきちんと特定し、そこへ手を打たない限り、システムはうまく動くことはありません。

人の心でも『何が問題か』に着目することはありますが、それ以上に『何が問題でないか』にも着目し、大切に扱います

なんとなく問題だと思っていたけれど、実は問題ではない部分だったと気づくことで、より早く解決に至る。そんなことも決して少なくありません。

だからわたしは、あなたのお話をよく聴き心の問題を切り分けて適切な心理療法を選択することを大切にした心理カウンセリングを提供しています。

今、自分の人生で悩み苦しんだことを振り返ると、カウンセリングや心理療法を受けて、短期間のうちに解決できたであろうことばかりです。

「当時から知っていたら、もっと早く悩みから抜け出せたのに…」
「貴重な時間を無駄にせずにすんだかも…」

正直、そう思うこともあります。

実際に、このように言われる相談者の方も多々おられます。

問題を切り分けたら、あっという間に気持ちが落ち着いた」

「もっと早く心理療法を受けたらよかった」

「こんな大切なこと、学校にいる間に習いたかった」

かつての自分のように、悩みの中にいて生き辛さを感じている方、毎日が辛くて生きていくのがやっとだという方、それでも、その辛さ苦しさを何とかしたいと願い、もがき続けている方に、カウンセリングを受けていただきたいと思っています。

自分の持ち前の力に気づき、その力を、自分の居場所で存分にのびのびと活かせる人を増やしていきたいわたしはそう願っています。

そんな人が多くなるほど、幸せに満ちた世界になっていく。

わたしはそう信じています。

そのためにわたしはここから、カウンセリングという形で、自分の力を活かします

はじめて心理カウンセリングを受けるときは、とても不安を感じることでしょう。

こんな葛藤もあると思います。

「良くなりたい。楽になりたい」
「でも、本当に良くなるのだろうか…」

でも、あなたの、ほんの少しの勇気が、未来を素晴らしいものにするのです。

どうぞ、安心して何でもお話しください。
あなたの気持ちを全力でサポートします。


カウンセリングのご予約について

石川県や富山県での対面相談が多く、オンラインでも全国から相談を受け付けている、心理相談室『なんのきの木かげ』・加戸に一度ご相談ください。

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