人の気持ちの《同一性の法則》を保つ、自分の居場所

人は人であって
それ以外の生きものではない。

猫は猫であって
それ以外の生きものではない。

猫みたいに自由気ままで
気まぐれな人がいたとして、

「なんかあの人は猫みたいな人やわ」

とか

「あいつはホンマに猫やわ」

などと思うことはあっても、

その人をほんとうに猫だと見なして
猫と同じ食べものをあげたり
猫に話しかけるのと
まったく同じように話しかけたり、

猫を扱うのとまるっきり同じように
その人を扱うなんてことはない。

アリストテレスによる《同一性の法則》

あるものはそれ自体であり、
それ以外のものではない。

誰かが望んだとしても、
それを別のものに変えることはできない。

 

 

人は、物理的なものについては…

今これを見ているスマホとか、
もしくはタブレットかパソコンかも。

だとか、かたわらに置いてある本とか、
温かい飲み物が入っているカップとか。

それは『それそのもの』であって
『それ以外のもの』ではない

と簡単に認めることができる。

 

ところが、感情的なことについては、

自分が感じたその気持ちは
そう感じているとおりのものであって
それ以外の気持ちではない

素直に認めることは、
それほど簡単ではなかったりする

辛い気持ちを感じているときなんかは
特にそう。

 

たとえば
悲しみとか、怒りとか、恐れとか
不安とか、不満とか、妬みとかの
辛さを引き起こすネガティブ感情を、

自分が感じている、と
すぐに素直に認めることは
自尊心に影響しかねない。

 

自尊心…もう少しかんたんに
『プライド』と呼ぶことにしてみよう。

この『プライド』は
どこからきているのだろうか?

 

 

たとえば、わたしたちはなにげなく

ある役割を果たすことによって
他人や社会から自分を認められる

という前提のもとで、
仕事したり生活したりしている。

 

自分がある役割を果たしていることを
他人や社会から充分認められないと
ネガティブな感情が湧く。

それで、プライドが傷つきもする。

すると、さしあたっての自衛策として
プライドを守ろうとしてしまう。

とりあえず意地で
ネガティブ感情を認めないように
するわけだ。

 

つまり、自分の中に
ネガティブ感情が存在しているのに
そのネガティブ感情があるのを認めない
ということをしてしまう。

自分のネガティブ感情は、
ネガティブ感情ではない

 

あっ。なんか違う。

さっきの
アリストテレスによる《同一性の法則》。
それと違う。

あるものはそれ自体であり、
それ以外のものではない。

誰かが望んだとしても、
それを別のものに変えることはできない。

 

 

さっきの↑
《同一性の法則》の『それ』の部分を
『自分のネガティブ感情』に
置き換えてみたらどうなる?

自分のネガティブ感情はネガティブ感情であり、
ネガティブ感情以外のものではない。

誰かが望んだとしても、
自分のネガティブ感情を
別の感情に変えることはできない。

 

いま、そのときの自分の感情は
いま、自分が感じている気持ち
そのものであって、
その気持ち以外のなにかではない。

そう、自分で認めること。

どのような感情であれ、
自分の中に湧いてしまっている感情を
そのとおりのものと認めること。

 

他人や社会から充分認められようが
認められなかろうが、

自分がある役割を果たしている現実を
自分で尊重する
という
ただそれだけのこと、なのに…

法則的にはめちゃくちゃシンプルなのに
なんでこんなに認めづらいんだ。

 

 

人はひとりだけでは生きられない
社会的な生きものであって、

自分もまた、
他人や社会に何らかの役割や期待を求めて
その役割や期待を果たして、認められて…
ということを延々と続けて生きている。

他人や社会から求められている役割や
期待に応えることは必要だ。
それがなかったら自分だって困る。

 

だからこそ、自分の為したものことが、
他人や社会から求められた役割や期待に
合致していたり、

そうなっていることが
お互いに共有できればいいのだけども、

合致しなかったり共有できなかったり
なんてことだって、相当にある。

 

悲しいかな
必ずしも相通じるとは限らない

 

それでも、
精神的に、同一性の法則を保つ。

あるものはそれ自体であり、
それ以外のものではない

誰かが望んだとしても、それを
別のものに変えることはできない。

 

まったくもって、楽な話じゃない。

 

 

それでも、
いま湧いたネガティブ感情を尊重する。
感情が湧いてしまっている現実を認める

いま感じていることを、
感じているままに表に出す。
相手に、誰かに、伝える。

 

そうすることが、
他人や社会から求められた役割や期待に
必ずしも合致しなかったり
共有できない場合
があるとしたら…

それを安心してできる
『自分の居場所』が必要だ。

 

  • 自分ひとりで過ごせる場所、時間。
  • 普段求められている役割とは
    無関係な場所、友人、知人、ペット…
  • 自分の気持ちをそのまま語れる場所。
    日記、手紙、SNS…

 

手段はいろいろあるけれども、

 

自分の気持ちに正直になれる
『居場所』を確保して、

そこで、自分の気持ちをそのまま
安心して出せるというのが
どれだけ大切なことだろうか。

 

 

他人の気持ちを認めるには、
まず、自分の気持ちを認めることが
できることだ、とも言う。

 

さて、自分の気持ちに
いまよりももうちょっと正直になるために
できそうなことはなんだろうか。

もっともっと、自分の気持ちに
正直になることができたら、
自分はどうなれるだろうか。

 

 

ひとまずゆっくりと呼吸して、

「自分はどうありたい」
「自分はどうしたい」

というような、先々への思いにすら
とらわれないで、

「いま、ここ」の自分の感情や、
感覚そのものに集中して、観察して…

 

そうすれば、
いろんな感情を自由に持つことを
自分に許すことができるだろう…

 

さあ、やってみようか。

 

◇◇◇

 

『なんのきの木かげ』では、
あなたのお話に寄り添うだけではなく、
ケアをして癒やすだけでもなく、

あなたが、あなた自身の気持ちを
大切にできる『自分の居場所』
一緒に見つけます

「いま、ここ」の自分の感情や、
感覚そのものに集中して、観察して、
いろんな感情を自由に持つことができれば
それだけでも随分と楽になれます。

あなたのお気持ち。
どうぞ、話しにお越しください。

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