きょうは11月11日。
毎年、このあたりの時期になると
いつも思い出すことがあります。
それは…
かつて感じたことのあった
心身好転の兆しです。
◇
わたしはかつて、会社員時代に
社会不安を伴う適応障害と診断され、
長期休職を余儀なくされたことがありました。
療養生活中は、休職、復職を繰り返し
数々のうつ症状が長く続きました。
職場で仕事に手をつけるのはおろか、
行くことすらままならない状態が
何年も続きました。
友人知人の人間関係も
すべてなくなっていました。
社会とのつながりが実質的になくなり
居場所を失った状態になりました。
いわゆる、大人のひきこもりです。
傷病手当金の支給期間も過ぎて
収入が完全に途絶えるという
窮地に陥っても、なお、
社会復帰できるほどの力が戻るとは
当時は、到底思えませんでした。
◇
ところが。
いつ終わるとも知れない療養生活中の
なんでもないある日の朝。
心が少し軽くなった。
身体も、いつもよりも少し軽い。
ほんの一瞬、フッ…と感じた。
「あれ?」ってなりましたよ。
長い長いトンネルの暗闇の中で
向こうにひとすじの光が
射したように見えた…とか、
どんだけ動かそうとしても
びくともしなかったデカい石が
ちょっと動いた…とか、
頭の中のモヤがちょっと減って
モノクロの映像に色がつき始めた…とか、
いろいろ、例えようはあるにしても、
このときの実感を、実感のとおりには
説明しようがなかった。
いまだに正確には説明できません。
こんな、フッ…と軽くなった感じが
どこから、なんでやってきたのかも、
わからなかった。
いまだにわかりません。
でも、いい。
問題ない。
そうも思いました。
理由はすぐにはわからんけど、
なんか、いつもと違った『いい感じ』。
これまでとはちょっと違う。
今度こそほんとうに
心身の状態が好転するんじゃないか?
この『感じ』を、逃さない。
ただ、なんの根拠もなく思いました。
ただ、その思いを持ち続けました。
そのタイミングが、7年前の11月11日頃。
このあたりの時期でした。
◇
いま思うと、
- 根拠もなく思っておいた
- その『思っておいた』を続けた
ただそれだけのことが、
いちばんよかったのでしょう。
それ以来、毎年、この時期になると
自分にとって、なにかしらの
ターニングポイントがあります。
全部が全部、すがすがしかったり
心地よかったりするばかりのできごとや
感覚ではありませんでしたが、
全部が全部、
自分が成長する節目にはなっています。
今年も、今週になって、感じつつあります。
これまでとは違った感じ。
「自分の中の不遜なところを引っ込めて
すべてのものごとをやろう」
うまく言葉になりませんけど、
そのうちもっと的を射た表現に
できたらいいけどな…
そんな感じです。
忘れてしまっていたものを
思い出しただけかも知れませんね。
◇
あなたにとっては
タイミングは違うかも知れないし、
周期的なものでもないかも知れないですが、
いつもと違った『いい感じ』が
自分の中に起こったとしたら、
できるだけ、すぐさま、
なんの根拠もなく、理由も追わず、
ただただ、感じていてください。
そして、
これまでとはちょっと違う。
今度こそほんとうに好転するんじゃないか?
この『感じ』を、逃さない。
と、思い続ける。
ほかにはなんにもできなくていい。
『思い続ける』ができさえすればいい。
『思い続ける』に根拠はいらない。
そもそも、根拠があるものでもない。
どうせ思い続けるなら、
いいほうの感じを、思い続けたほうが…
その新芽、きっと伸びます。